- text and edit by
- 亀山 裕市
1 はじめに:新時代の入口で見つめなおす「歩くこと」
コロナ禍に端を発した新たな生活様式がひろがるなか、空間体験の視点で特に注目したいことのひとつに「歩くこと」があります。
コロナ禍がはじまった頃には家をでることすら憚られ、その後は県域を超える移動の制限や観光の自粛も多くみられました。そうした時期を経るなかで、外を自由に歩けること、移動できることの喜びにあらためて気づくことが一度ならずあったのでないでしょうか。旅先ではもちろんのこと、日常生活で見慣れている通勤・通学の時間にも、周りの環境に目・耳・肌が反応し、自身の感覚が覚醒していくことに驚いたのですが、はて?この覚醒がどこからきているのだろうと考えてみると「歩くこと」に大きく影響されているようにとらえられました。この考えをきっかけに、これからの空間のあり方を考察するトラベローグの第2回は、歩くことの魅力に注目して空間体験の源流を探ります。
2 「歩くこと」の魅力が凝縮するロングトレイル
歩くことを考察する今回、特に注目したいものが、歩かれることを前提にした長距離にわたる道=ロングトレイルです。実例は日本国内だけでなく世界各地にあり、ロングトレイルのほかフットパスや自然歩道などとも呼ばれ、ロングトレイルを歩くハイキングはランニングやポタリングなどと並ぶアウトドアレジャーのひとつとなっています。日本国内のロングトレイルには、1970年から環境省と都道府県により整備が進められた10本の長距離自然歩道があり、民間では2008年に長野県・新潟県の県境に信越トレイル(https://www.s-trail.net/)が誕生。その後も各地に数多くのトレイルが生まれてきました。これらのなかで、国の事業として整備が着手され、トレイル沿線の地方自治体や住民のみなさん、トレイルファンなどの多くの人々の関わりによって現在も運営され、楽しまれているものに「みちのく潮風トレイル:英名Michinoku Coastal Trail 略称MCT」(https://tohoku.env.go.jp/mct/)があります。MCTは青森県から岩手県・宮城県・福島県の海岸沿いを歩く1000kmを超すロングトイレルで、変化にとんだ海岸地形や植生などがつくりだす風光明媚な自然景観とともに、北東北から南東北の海岸地域の人々の暮らしや歴史に触れられること、東日本大震災からの復興過程の多様な実像を体感できること、などを特色にしています。
青森と岩手、宮城の一部のエリアではありますが私もじっさいに歩いてみると、MCT各地の自然や文化に触れる楽しみとともに歩くことの魅力への気づきが多くありました。例えば東北の海岸ならではの冷たく湿り気をふくんだ海風の感触、磯の恵みとともにある暮らしぶりなどに触れながら歩く心地よさ、風景と情景のなかに見えかくれする震災の記憶や復興の実像、そこに地続きで顔をのぞかせる歴史・民俗など、心も頭もひきつけられる瞬間に何度もむきあうことができ、どれも歩くことでしか体験できないものばかりだったといえます。MCTという歩く空間は、みちのくの自然環境と、そこで暮らしている人、道を保つ人、道を歩く人の関わりのなかで成立していますが、自身で歩き、歩いた日々を思い返す時間のなかで気づいた特色がありました。それは、道を歩くなかで感じる、考える、あるいは思いかえすとき、そこにMCTが存在する、ということ。MCTは物理のなかにあるとともに、心理のなかに在る。こうした存在感に貴さを感じるとともに、空間体験というものを考えるヒントも潜んでいます。
3 「歩くこと」から気づく「空間のあり方」
MCTを歩くことで気づいた空間体験というものを考えるヒントとはなにか。具体的なエピソードで説明します。歩くことは、歩く人を取りまく風景を徐々に変え、目や耳はもちろん胃袋etcに刺激を与え続けます。砂浜を歩くと足元のから鳴き砂の音がきこえてきて驚く、海上に目をむけると貨物船がゆっくりすすんでいてぼんやり眺めつづける、やがて舗装された硬い道路を歩き疲れ食堂の看板を見つけて一息つこうよとお腹がいう。砂浜での驚き、貨物船がゆくのを眺めていたい気分、お腹の声がきこえたおかしさ、こうした感覚や情動が働いている状態を空間体験の単位と捉えることができるのではないか。砂浜がある、船がすすむ、食堂がたっている、それだけでは空間ではなく、そこに感覚や情動が働いたときに空間が在る、といえるのではないでしょうか。こうした考え方にたつとき、より良き「空間のあり方」のひとつに、感覚や情動に働きかけること、があげられます。空間には、学びの空間、仕事の空間、寛ぎの空間、語らいの空間、こどもと過ごす空間などいろいろな種類がありますが、いずれの空間においても感覚や情動への働きかけが大切になると考えます。
4 ロングトレイルの拠点空間「名取トレイルセンター」
みちのく潮風トレイル(MCT)の途上・宮城県名取市に「みちのく潮風トレイル 名取トレイルセンター」(https://www.mct-natori-tc.jp/)があります。ここでは、トレイルの情報が日々集積・共有される展示をはじめ、歩くことの喜びや楽しさを交歓する催しが頻繁に行われており、MCTの魅力を凝縮した拠点空間となっています。空間の特色には、歩いた疲れを癒すソファーラウンジや、長大なMCTを体現した地図型情報展示、ロングトレイルの普及にとりくまれた加藤則芳氏の愛用品と蔵書の展示、トレイル拠点ならではの個性がにじむ選書で構成されたライブラリーなどがあげられます。ライブラリーには、トレイルの魅力を伝える基本書にくわえ、一冊の本をきっかけに別の本にも興味がひろがりつながっていく、本の寄り道空間とも呼びたい選書・配架がなされています。歩く楽しみとおなじく、本を読むのも偶然のであいや寄り道からおもわぬ発見があるとうれしい。そんなうれしさにであえる本たちが訪れる人をしずかに待っている空間です。
また、安定した電源と通信環境が確保されており、デスクワークの疲れを感じさせないマテリアルと意匠に工夫したファニチャーも自由に利用できることも特色で、パーソナルなワークプレイスとして訪れることもできます。コロナ禍に前後して各地にひろまるワーケーション空間の好例ともいえるでしょう。
5 むすび
今回は、コロナ禍を経るなかで際だってきた移動することの意味をみつめる視点から、これからの空間のあり方を考察しました。移動=歩くことのエッセンスが凝縮するロングトレイルでの実体験をもとに、空間はただそれだけで在るのではなく、人の感覚や情動が働いたときに在る、と捉え、「感覚の覚醒・情動の働き」を空間の良否を左右する重要な要素のひとつに位置づけました。こうした考え方にたつとき、空間は人と人を取り巻く環境の間になんらかの関係が結ばれたときに立ち現れる、そういう言い方もできるでしょう。物理的にある空間と対称する、感覚が覚醒され様々な情動がおきる生理的・心理的な空間(なんらかの関係が結ばれるニュアンスから「空関」と呼んでもいいかもしれない)、ふたつの存在を踏まえ、より良き空間体験づくりに取組んでいきます。ロングトレイルを歩くときに包まれる快適さをモデルにして。
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