小学57年生の“大阪万博フラッシュバックメモリー”
原体験から臨む博覧会の姿

矢部 信明
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矢部 信明

メガ・イベントの極致「国際博覧会」。私の起点は、小学5年生。

乃村工藝社大阪社に在籍し早37年、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱咤激励を受け長く生きてきたせいか、昨今の社会状況から世界全体のひずみを見直す転換期が迫っていることを、日に日に感じさせられます。
いよいよ再来年「2025年日本国際博覧会」(略称「大阪・関西万博」)がここ大阪で再び開かれます。これから到来する時代を捉え、混迷する日本や世界の持続的成長につながる博覧会です。
長年イベント業務に携わる者として、また小学5年生の時に実体験した者として、1970年に開催された大阪万博からの進化に、大きな興味と期待を持っています。今回は、私の原体験を通した「国際博覧会」の素晴らしさの一面をお伝えします。

■おさらいデータ『日本万国博覧会』集客概要
総 面 積  :約351 ha [2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)は、155 ha]
パビリオン数:外国館×53館、国内館×32館
入場者予測数:50,000,000人(内外構成率/日本人98%・外国人2%)
実入場者数  :64,218,770人(内外構成率/日本人97.4%・外国人2.6%)
年齢別入場者構成:4~22歳→41.2%、23~59歳→53.7%、60歳~→5.1%
1日最多来場者数:835,832人
会期中迷子  :48,139人


データ出所:「日本万国博覧会政府公式記録」通商産業省 昭和46年3月31日発行

1970年の日本では―令和に映える「昭和レトロ」のリアル

1970年、世界の若者文化を変えたビートルズが解散し、日本のテレビでは富士ゼロックスCM「モーレツからビューティフルへ」(企画:電通の藤岡和賀夫氏)のメッセージ広告が、高度成長期の当時の日本に衝撃を与えた年で、個人のライフスタイルや価値観に対する問いかけ、社会的な転換期だと子どもなりに薄っすらと気づかされたものでした。

人口が右肩上がりでグングン伸長、そして1964年の東京五輪開催後も、鉄道網や高速道路の拡充、街中は新しいビルの建設ラッシュで、郊外には大規模な団地「ニュータウン」が整備され、その家々では新製品の家電が更新され、クルマの所有率も高まり、“頑張れば生活が豊かになる”と日本全体が信奉し熱量高まっている頂点の中、満を持して1970年に「日本万国博覧会」が開催されたのでした。

国内外から約6,420万人を集客し、日本国中が沸いたメガ・イベントは、地元大阪の学校では、マストとなる校外学習でした。(当時は「遠足」と呼んでいました)
遠足で行った私は本当にビックリしました!!大阪北部の丘陵の会場に繰り広げられていたものは、テレビや映画でしか見たことのない、正に“万国=世界”が目の前に広がり、“各国のリアルな外国人が大勢”おられ、そして“輝いた未来”が提示されていたのでした。

当時の海外旅行率(年間出国者数:約50万人弱/1969年。現在は約2,000万人/2019年。すなわち現在の2.5%。出所:出入国在留管理庁「出入国管理統計」)はとても低く、しかも1ドル=360円!の固定相場制で、大方の日本人にとっては、外国=「とても縁遠い存在」でした。

1970年大阪万博(乃村工藝社社員撮影)

■1970年(昭和45年)の出来事と物価{東京都区部}  (  )内数字、現価格
日航よど号ハイジャック事件
三島事件
民間FM放送局開局〈東京・大阪・福岡〉
ビートルズ解散
漫画「あしたのジョー」の連載終了
・大卒初任給:39,900円 (210,200円/2019年)
・国鉄(JR)最低運賃/大人:30円 (140円/山手線現在切符)
・煙草ハイライト1箱:80円 (520円)
・郵便はがき:7円 (63円)
・都内タクシー初乗り料金:130円〈2㎞〉 (410円〈1.052㎞〉)
・映画ロードショー一般:550円 (一般1,900円)


厚生労働省「賃金構造基本統計調査」
総務省統計局「小売物価統計調査/主要品目の東京都区部小売価格」

人、人、人で埋め尽くされた『人類の進歩と調和』の舞台

小学生の私は会場に着くなり、不思議なきらびやかさで、あらゆる方向が人、人、人で埋め尽くされた『人類の進歩と調和』を謳う濃厚な大空間に圧倒されました。当時の小学生は児童誌や漫画で事前に学んだ薄っぺらな知識と無知な元気力で、度肝を抜くパビリオン巡りの楽しみは勿論のこと、入場早々、「パビリオンの来館記念スタンプ」「記念バッジ」入手と、そして手あたり次第に外国人(コンパニオン、来場観光客!までも)の方々から、児童誌で受け売りしていたとても怪しい各国語を口走り、持参した手帳に「サイン」を書いてもらうこと、この「万博・三種の神器(正に昭和の表現)」に全精力を傾けました!

1970年大阪万博、日本万国博のバッジ(サンヨー館、カナダ館)と記念メダル(ソ連館)

この非日常空間で、とんでもない未来技術の数々(月の石、携帯電話、フライト・シミュレーター、マネキン型の立体映像・・・等々)に触れ驚き、そして世界各国から訪れた人々とのリアル・コミュニケーションに、昭和の小学生は感動し、魅了されました。

上記データの通り、来場者は高齢者が少なく、4割が22歳以下の次世代担う「若者/子供層」であったのが特色です。多くの平均的日本人の通り、私もその後、家族で複数回訪れ、いずれも大混雑の中、人気パビリオンの入館行列への忍耐を学び、また昼ご飯は、「ハウスカレリーナ」でカレーライス150円だったのが、不思議に忘れえぬ思い出です。

「ビューティフルなライフスタイル」+「提示された明るい未来の実現」を信じ込み、その後の2度の石油ショックなどありましたが、私は『人類の進歩と調和』の前向きな実現信じ、「万博教」に染まったまま、社会へ出たのでした。

なんと、憧れた博覧会をつくる側に。

大学卒業後アパレル会社に入社し、つくば科学万博が開催された1985年に乃村工藝社へ転職。私がまず感銘を受けたのは、1970年大阪万博の最前線を手掛けられた先輩諸氏が沢山おられことです。当時は「お祭り広場の現場で、そのまま寝た」とか「賞与も沢山出て、袋が立った!」とか業界裏側・武勇伝を色々お話し頂き、いよいよ自分にも博覧会の仕事をするチャンスがあるのかもとワクワクしたものです。


「ワッショイ!2000地球村ベイコンサート現場」左:乃村工藝社・矢部/右:猫西 一彦さん [(株)エフエム大阪 営業局長(当時)]

期待通り、入社以来、常設展示の空間づくりを行いつつ、子供の頃多大な影響を受けた博覧会を含む多様なイベント業務や、社外でイベント産業を振興する協会活動にも携わることができました。
1980年代、至る所で今日のデジタル化へのインパクトある助走が始まり、私たちのディスプレイ業界の仕事も日々進化していきました。また、経済の浮沈の繰り返し、学び方・働き方・暮らし方そして個人のライフスタイルや価値観も随分変わりました。最近では「コスパ・タイパを重視する」Z世代の映像視聴方法など、その最たるものです。

博覧会は、時代を映す

この半世紀、目まぐるしく時代とともに博覧会自体も都度変化しました。2005年の「愛・地球博」では“自然”、そして今回「大阪・関西万博」では“人”にフォーカスしている点で、どう来場者に未来像とその術を解き明かし、メッセージを発信してくれるのか大いに期待できます。
半世紀前の社会状況や価値観との違いがあるからこそ、より多くの人々に「大阪・関西万博」を体験して欲しいと思っています。
是非会場へ足を運んでいただき、ご自身の身体全体で感じ・考え・確かめてください。社会の変わり目にあたる2025年「大阪・関西万博」には、これからの将来をより良く生きるヒントやメッセージが、きっとあります。そう信じています。

大阪・関西万博は、子どもたちに向けて

1970年日本万国博覧会のテーマ「人類の進歩と調和」で示された、夢の技術や未来の展望は、今や日々の暮らしで当たり前になっているものが沢山あります。
[生まれたもの・拡がったものの例:携帯無線電話機、テレビ電話、電気自動車、電動自転車、動く歩道、空気膜構造、ファーストフード、ファミリーレストラン、缶コーヒーなど]

半世紀を経た21世紀の博覧会として、地球規模のさまざまな課題に取り組むための世界の英知や、新たなアイデアの創造・発信とは、いったいどのようなものでしょうか。
少子高齢化という課題先進国、日本。特に私の切なる願いは、未来の主役となる子どもたちが「こんな未来になるといいな」と思える指標や共感の実現です。
21世紀のデジタルネイティブ世代達が「ワクワクして、将来に夢や希望をもつきっかけ」となり、“ウェルビーイング”を培うのが今回の最優先ゴールだと思います。

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矢部 信明

矢部 信明

昭和ドブ板プランナー

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